Twitterに見る「あるべき姿」が無い意見

 

実世界と文面

Twitterを使って、フォローしている人達の発言を見ていると面白いよね。普段の生活の何気ない事をつぶやいて見たり、仕事の愚痴ばっかり言ってたり、世の中に鋭いツッコミを入れてみたり…。普段接している時にはなかなか見えない一面が見えて、時に感心してみたり、時に何故かその人に裏切られた感覚になってみたり。

顔が見えないことで、発言者は実際の身の丈以上の誇大広告することが可能だし、受け手にとっては拡大解釈する事も可能。そうなると、いよいよ『実世界の自分』と『文面の自分』に大きな乖離が生まれてくる。その乖離は果たして『実世界の自分』にとって、いい影響を与えるのかどうか…。

Twitterに見る「あるべき姿の無い意見

話はそれだけど、今日書きたいことについて。最近はブログやFacebookTwitterなどで自分の意見を主張する人達が多くいるように思う。特に311以降は、地震や原発、東電なんかに物申している人達が多くいたし、最近だとTPP問題なんかに言及している人達もよく見かける。決して否定するつもりもないし、持ち上げるつもりもない。

例えば

「農産物の価格が下がるならTPP賛成!」
「国産品の価格競争力が落ちてしまうと、淘汰されてしまって安全な食品が食べられない。TPP反対!」

「地震津波では国の初動対応が遅かった!管内閣の責任だ!」
「これ以上弱者をいじめるな。消費税増税反対!」

しかし往々にして僕が感じるのは、これらの意見が空虚であって、本質というものがマトリョーシカの一番中身に隠されているのであれば、その人形の一番外っ面さえ開けることなく、人形の良し悪しについて語っているようなものだ、ということ。

TPPであれ地震対応の初動であれ税金であれ、なんだって「あるべき姿」があると思う。それはTPPや地震対応の初動や税金自体がどうあるべき、というわけではなくて、TPPであればこの国が今後どのように外国と接しながら生きていくべきなのか、地震対応であれば最終的に地震直後の1週間で何が復旧されるべきだったのか、税金であればこの国の税収と歳出のバランスをどう維持し誰に負担を迫るべきなのか・・・。

そのような根本となる「本質の意見」が無いままで意見しようとも、それは誰かの立ち位置であれば正しい意見であるだろうし、またそこから1,000マイルほど離れた立ち位置の意見であれば、それは悪魔のような無残で残酷な慈悲のかけらも感じられない意見となってしまうかもしれない。

TPPの話で一段階マトリョーシカの中に入った意見を言うならば「これからグローバルしていく世の中で、他国の農産物に品質・価格面で負けない農業基盤を作るべきであり、そのためには現在の日本の農業では脆弱すぎる。今の閉じられた日本の農業に変革をもたらし、日本品質を保ちながら農業の大規模化と集積を図るべき!そのためにはTPPを導入し、日本農業をグローバル化の荒波に追いやるんだ!」みたいな。

(まあ、これもインスタントな意見なので何とも浅はかな感じだけど苦笑)

あるべき論を語るには、知識と深考と理解が必要となる。ある程度の概要を知らなければ、何が重要で何が重要では無いかが分からないから。

意見を言うのって大変だね。僕が意見を言うのなんて1万年くらい早そうだ。まあ、ただこの記事では一つだけ意見を言わせてもらう。

「あるべき姿を考えて意見を言うべき」

そんな姿を思い描かない意見なんて、ヘドロが流れ込む湖の、表層に溜まった水だけをさらってるようで意味が無い。いやそれだけではなく、もっとタチが悪いかもしれない。その意見が誰かに刻まれてしまったとしたら。まるでウィルスのように伝播したら。

考えただけでゾッとする。

この記事がそうではない事を祈るよ。

アオジROY