刹那に生きる

どうやら私は忘れやすいようだ。
私の耳に入ったことは、右から左へスーッと抜けていく。
時には耳に入らずに、その物事が目の前を過ぎていく。

スーッと。

私はその瞬間をいつも自覚できるのだけれど、それは手で捕まえられる訳でもなく、声をかけて戻って来てくれる訳でもなく、ただただ流れていくその瞬間に、過去に私が忘れた記憶達に追い立てられる焦燥感に駆られながら、何も出来ることはなく、ただただそこに居るだけ。

私の人生の殆どは、いま目の前の一瞬だけなのだ、とよく思う。それはとても悲しくて辛い。雪の結晶が手のひらに落ちるように、自分の感じた嬉しさや悲しさ、楽しさや辛さ、共感したことや相反したこと、考えたことや悩んだこと、そんな自分を創ってくれた全てのモノやコトが消えていく。その記憶たちに申し訳が、ない。

この想いは、まだまだ自分では消化できやしない。

子供の頃に恐れていた沼。自分の足が引き込まれたら二度とあがって来れないんじゃないかと恐れていた沼。私が、私の記憶に対して抱いている感情はそれに似ている。

 

でもこんな自分を愛そう。過去や未来に縛られず、刹那に生きることができる自分を愛そう。自分以外にだれが自分を愛することができるのか。それこそが、過去に袖触れ合ったもの達への礼儀というものではないか。

過去の記憶たちが追ってきたって、堂々と立っていよう。記憶の無い自分が、今の自分を形作っているのだから。

 

いつの日か、私がその沼地が素晴らしい大自然の一部だと気づけたように、私のこの個性を素晴らしいと思える日がくるように。

 

アオジROY