本棚並べなおし
本棚の中に、あまりにも「積読本」が溜まりすぎていて、もう気持ち悪くなってきた。
読んだ本と読んでない本がめちゃくちゃに配置されているし、さらには自分で買った記憶の無い本まで出てくる始末。
こりゃいかん、と思って本日は本棚の並べなおし。
Before)
ジャンルごとに分類。
読んだ本がどれかわからない。
After)
読むプライオリティ順に並べる。
まずは大きく3つに分類。
読んでなくて、興味がある。
読んでなくて、正直もうあまり読む気はしない。
読んだ。
※読んだけど読み返さないものは押入れへ。
あとは各分類毎に読むプライオリティー順に並べて終わり。
あーこれでようやく読む本に迷わない。途中で読んで放置、ってこともなくなりそう。
アオジROY
夏が待ち遠しい
暑い地方に来たときは、夏があんなに嫌いだったのに。
少しだけ気温の低い朝
うだるような暑さの午後
太陽が落ちる前の切ない感覚
静まり返っていても寂しくない夜
全てが懐かしい。たった半年前なのに。
あと5ヶ月もすると、きっとまた彼らが手を振って出迎えてくれるはず。
アオジROY
刹那に生きる
どうやら私は忘れやすいようだ。
私の耳に入ったことは、右から左へスーッと抜けていく。
時には耳に入らずに、その物事が目の前を過ぎていく。
スーッと。
私はその瞬間をいつも自覚できるのだけれど、それは手で捕まえられる訳でもなく、声をかけて戻って来てくれる訳でもなく、ただただ流れていくその瞬間に、過去に私が忘れた記憶達に追い立てられる焦燥感に駆られながら、何も出来ることはなく、ただただそこに居るだけ。
私の人生の殆どは、いま目の前の一瞬だけなのだ、とよく思う。それはとても悲しくて辛い。雪の結晶が手のひらに落ちるように、自分の感じた嬉しさや悲しさ、楽しさや辛さ、共感したことや相反したこと、考えたことや悩んだこと、そんな自分を創ってくれた全てのモノやコトが消えていく。その記憶たちに申し訳が、ない。
この想いは、まだまだ自分では消化できやしない。
子供の頃に恐れていた沼。自分の足が引き込まれたら二度とあがって来れないんじゃないかと恐れていた沼。私が、私の記憶に対して抱いている感情はそれに似ている。
でもこんな自分を愛そう。過去や未来に縛られず、刹那に生きることができる自分を愛そう。自分以外にだれが自分を愛することができるのか。それこそが、過去に袖触れ合ったもの達への礼儀というものではないか。
過去の記憶たちが追ってきたって、堂々と立っていよう。記憶の無い自分が、今の自分を形作っているのだから。
いつの日か、私がその沼地が素晴らしい大自然の一部だと気づけたように、私のこの個性を素晴らしいと思える日がくるように。
アオジROY
ねぇTPP(1) 目的はなんなの?
あんたって一体、何考えてんの?
友達になっていいの?
誰が本当のあんたを理解してんの?
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環太平洋戦略的経済連携協定、TPP。根本となる目的が知りたい。基本的名理念は何なのか。まずはそこだっしょ。
▼APEC Q&A
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/qa_12.html
アジア太平洋自由貿易圏(Free Trade Area of the Asia-Pacific :FTAAP)構想とは,アジア太平洋地域において,関税や貿易制限的な措置を取り除くことにより,モノやサービスの自由な貿易や,幅広い分野での経済上の連携の強化を目指すものです。
(中略)
2010年,横浜で開催されたAPEC首脳会議において,FTAAPの実現に向けた道筋が策定されました。
(中略)
投資,サービス,電子商取引,原産地規則,サプライチェーン・コネクティビティ(国際物流円滑化)を含む貿易円滑化等の分野において分野別取組を継続し,更に発展させることにより,FTAAPの追求に貢献していくことが確認されました。
▼「TPP協定交渉の概括的現状」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/tpp/pdfs/tpp01_09.pdf
- 高い水準の自由化が目標
アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)に向けた道筋の中で唯一交渉が開始されており、アジア太平洋地域における高い水準の自由化が目標。
- 非関税分野や新しい分野を含む包括的な協定
FTAの基本的な構成要素である物品市場アクセス(物品の関税の撤廃・削減)やサービス貿易のみではなく、非関税分野(投資、競争、知的財産、政府調達等)のルール作りのほか、新しい分野(環境、労働、「分野横断的事項」等)を含む包括的協定として交渉されている。
APECのFTAAPが根底にあって、FTAAPは関税・貿易制限を取り払って、サービス・その他分野の連携を図る貿易圏の構想。
FTAAPの中で唯一話が進んでいるのがTPPということ。
おそらくメインは「ある程度の関税廃止」と「サービス貿易の自由」化を図る、ということなんだろう。サブ(といったらかわいそうだけど・・・)として保険やIP、政府調達なんかも関係してくる。
さ、寝よ。
まあどうやら私は批判するのが好きなようで。そして中国の暇人。
前の記事って本当にソレが現れているよねって思うんだ。
もう少し平穏な気持ちを持ちたいもんだよね。
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仕事柄中国にある程度関心があるというか、関心がなくてはならない。
前にNHKの爆問学問で「加藤嘉一さん」という方の回を見た。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20120105.html
「人気TVコメンテーターとして年間300本以上の取材を受け、ブログは5500万アクセス、その読者には胡錦涛国家主席もいるという『中国で最も有名な日本人』」だそうな。
その加藤さんが言っていたこと。「中国都市部には『暇人』と呼ばれる人たちがいて、毎日マージャンやトランプばっかやって生活してる。暇をしてる。そんな奴らが3億人くらいいる。」確かに中国の風景を写すテレビ番組などでよく見る彼らを、みんな容易に想像できると思う。
※「暇人」は加藤さんの造語らしい。
彼らは自分の住居を持ち、最低限の生活をしている。極力働かない。そしてその生活に満足しているらしい。なんと価値観の違う世の中なんだろう。人口の4分の1は暇人だ。自堕落に生きる人たちが3億人いる。いやもうそれは自堕落なのではないのかもしれない。自堕落の基準なんて人と比較して決められるものじゃないか。
「暇人党」でも作れそうな数の彼らが主張すれば、それはマジョリティになりうる。
まあそんな主張をしてしまったら「暇人」が「忙人」にでもなってしまって、暇人たる由縁が無くなってしまうのだけれど。
そういえばキューバにもよくそんな人たちがいるイメージだけど。共産主義国家の特徴の一つなの。
アオジROY
Twitterに見る「あるべき姿」が無い意見
実世界と文面
Twitterを使って、フォローしている人達の発言を見ていると面白いよね。普段の生活の何気ない事をつぶやいて見たり、仕事の愚痴ばっかり言ってたり、世の中に鋭いツッコミを入れてみたり…。普段接している時にはなかなか見えない一面が見えて、時に感心してみたり、時に何故かその人に裏切られた感覚になってみたり。
顔が見えないことで、発言者は実際の身の丈以上の誇大広告することが可能だし、受け手にとっては拡大解釈する事も可能。そうなると、いよいよ『実世界の自分』と『文面の自分』に大きな乖離が生まれてくる。その乖離は果たして『実世界の自分』にとって、いい影響を与えるのかどうか…。
Twitterに見る「あるべき姿」の無い意見
話はそれだけど、今日書きたいことについて。最近はブログやFacebook、Twitterなどで自分の意見を主張する人達が多くいるように思う。特に311以降は、地震や原発、東電なんかに物申している人達が多くいたし、最近だとTPP問題なんかに言及している人達もよく見かける。決して否定するつもりもないし、持ち上げるつもりもない。
例えば
「農産物の価格が下がるならTPP賛成!」
「国産品の価格競争力が落ちてしまうと、淘汰されてしまって安全な食品が食べられない。TPP反対!」
「地震津波では国の初動対応が遅かった!管内閣の責任だ!」
「これ以上弱者をいじめるな。消費税増税反対!」
しかし往々にして僕が感じるのは、これらの意見が空虚であって、本質というものがマトリョーシカの一番中身に隠されているのであれば、その人形の一番外っ面さえ開けることなく、人形の良し悪しについて語っているようなものだ、ということ。
TPPであれ地震対応の初動であれ税金であれ、なんだって「あるべき姿」があると思う。それはTPPや地震対応の初動や税金自体がどうあるべき、というわけではなくて、TPPであればこの国が今後どのように外国と接しながら生きていくべきなのか、地震対応であれば最終的に地震直後の1週間で何が復旧されるべきだったのか、税金であればこの国の税収と歳出のバランスをどう維持し誰に負担を迫るべきなのか・・・。
そのような根本となる「本質の意見」が無いままで意見しようとも、それは誰かの立ち位置であれば正しい意見であるだろうし、またそこから1,000マイルほど離れた立ち位置の意見であれば、それは悪魔のような無残で残酷な慈悲のかけらも感じられない意見となってしまうかもしれない。
TPPの話で一段階マトリョーシカの中に入った意見を言うならば「これからグローバルしていく世の中で、他国の農産物に品質・価格面で負けない農業基盤を作るべきであり、そのためには現在の日本の農業では脆弱すぎる。今の閉じられた日本の農業に変革をもたらし、日本品質を保ちながら農業の大規模化と集積を図るべき!そのためにはTPPを導入し、日本農業をグローバル化の荒波に追いやるんだ!」みたいな。
(まあ、これもインスタントな意見なので何とも浅はかな感じだけど苦笑)
あるべき論を語るには、知識と深考と理解が必要となる。ある程度の概要を知らなければ、何が重要で何が重要では無いかが分からないから。
意見を言うのって大変だね。僕が意見を言うのなんて1万年くらい早そうだ。まあ、ただこの記事では一つだけ意見を言わせてもらう。
「あるべき姿を考えて意見を言うべき」
そんな姿を思い描かない意見なんて、ヘドロが流れ込む湖の、表層に溜まった水だけをさらってるようで意味が無い。いやそれだけではなく、もっとタチが悪いかもしれない。その意見が誰かに刻まれてしまったとしたら。まるでウィルスのように伝播したら。
考えただけでゾッとする。
この記事がそうではない事を祈るよ。
アオジROY
ついに明日から2012年が始まってしまう。ゴールを作るか。
2012年、暦上では始まっているのだけれど、会社が今日まで休みだったと言うこともあって、僕はまだまだ年末・正月気分。しかし現実というのは冷徹なもので、誰の元にも等しく「その日」はやってくる。
いつまでも長く続いて、自分がまるで一生不自由せずに堕落して暮らすことができるかのごとく幻想を抱くモラトリアム人間状態を続けていたのだけれども、ついに「その日」が明日までやってきた。
ずっと拒み続けてきたけれど、そろそろ「あちら側」に戻らなくてはいけないから、「あちら側」で自分を見失わずに生きていくため、ゴールを設定しようと思う。
▲僕を育んでくれた道東。その道東の初日の出に、ゴールへ一歩ずつ向かう事を誓うよ。
2012年向けのゴールとして、ミドルターム(2~5年)とショートターム(1年)のものを作成。ロングタームはまだまだ考えられる状態では無いので、ここでは省略。
ミドルターム
- 自分の理念を追求してある程度の答えを出すよ
これは自分の中で今のところ最大の課題となっている内容。一体自分は何を信じて生きていくべきなのか。いや「べき」とかじゃなくて。どうやって生きたい、どうやって暮らしたいのか。そして世界にどうあってほしいのか。
なぜこんな事をミドルレンジで考える必要があるかというと、人生の「ブレ」を少なくするため。自分の理念が無い状態で、何かを判断することは難しいんだよ。人生だけじゃなく、あまつさえ仕事でも。
よし、1枚のワードに収められる状態にしよう。 - 道東を支援するよ
これはある意味理念の一つになりつつあると思うんだけれども、北海道道東地方を盛り上げていきたい。あんなに素晴らしい自然を持っているわが故郷が、衰退してしまう事なんて許されない。何も人口倍増だとか、地方にお金を落としてもらおうとか、そんな事を考えたいわけでは無くて、今ある自然を持続可能な状態で保ち、そして皆さんに見てもらい。ただそれだけ。
この5年内に一つ道東ビジネスを作る。
- 転職するよ
道東支援のためのステップアップとして、一つ別の職種を経験する。地元を盛り上げるために必要なもの、その一つに「仕掛け」があると思うんだけれど、この「仕掛け」る能力がまったくと言っていいほどない。ビジネスを果たして一から作り上げることなんてできるのか?そんな疑問を持つので、現在の職種を変えようと思う。今なんてただのPM雑用みたいなもんだもんねー。
これは今年の3月末まで。
- 英語に達者になるよ
これは単純に自分のコミュニケーション可能な相手の範囲を広げたい、それだけ。転職後にも間違いなく役立つので。オンライン英会話を再開させようか。
TOEIC700点以上(緩いなー笑)
まずは3/18のを受けにいきましょか。
でもTOEICだけじゃ不十分だな。何かいいもんないかな。
- 酒はほどほどに。タイムスケジュールを厳格に。
毎日飲むのはやめましょう。毎日のスケジューリングをまったくしていなかったせいか、時間があればすぐに飲みに行く生活を続けてしまっていた2011。酒を覚えてしまった僕の脳は、あの琥珀色の液体を求めて夜な夜な飲み屋へ繰り出すよう、体を支配していたのでした。
まずはスケジューリングから。そしてそれに応じて飲みに出る回数を減らしましょう。 - 体重を落とす
これはただ単純にモテたいから。
年末年始で4キロ増。
減量5キロ。達成したらモテモテだー!(泣
- 海外旅行でヒントを得よう
スペイン・フランス・イギリスを周って、道東支援のヒントを得たいね。特にイギリスのThe People's Supermarket、ここに興味があるんだよね。
- 運動を再開しよう
去年の始めまで続けていたボルダリングと水泳。再開する。
今年は これにジョギングを加えたい。手軽にできるスポーツって事で。
※ショートタームはこれから思いつけば追加する。
2011年は目標を見失ってただただ自堕落に生きた1年だった。意気揚々と新しい部署へ移り、小生意気に今までの経験で得た小さな自信を振りかざしながら仕事をしようとするも、見事に失敗して挫折。自分が信じてきた、脆すぎる自信だけで積み上がっていたバビロンの塔が崩壊し、その中で自分は生き埋めになっていた。
決して誰も助けて暮れはしなかったし、救急救命士のようなスーパーヒーローが現れてくれるわけでもなかった。僕は血だらけの体で、自ら這い出さなくてはならない。幸いな事に、頭は軽くショックを受けていたけれど、どうやら中身は無事らしい。その頭でもう一度人生と立ち向かわなくてはならない。いや立ち向かう必要はなくて、向き合う必要があるんだ。
さあそろそろ泣き言を言うのも終わりにして、2012年を明日から迎えよう。
アオジROY